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東京地方裁判所 昭和58年(ワ)12146号 判決

原告 照井富雄

〈ほか二名〉

被告 甲野太郎

〈ほか一名〉

右被告両名訴訟代理人弁護士 青木康國

被告 馬渡三子

右訴訟代理人弁護士 圓山潔

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、各自、原告照井富雄に対し金二六七二万円、原告照井政に対し金二四二二万円、原告伊藤田鶴子に対し金五〇〇万円及び右各金員に対する昭和五八年七月一日から支払済みまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁(被告ら)

主文と同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1(一)  被告甲野太郎(以下「被告太郎」という。)は、昭和五八年六月当時、東京都杉並区《番地省略》において甲野荘と称するアパートを所有し貸アパート業を営んでいた。

(二) 被告太郎、同人の妻である被告甲野花子(以下「被告花子」という。)及び右両名の長男である甲野一郎(当時二五歳)(以下「一郎」という。)も甲野荘に居住しており、一郎は二階に住んでいた。

(三) 照井康彦(昭和三一年八月三〇日生、当時二六歳)(以下「康彦」という。)は、昭和五五年九月二一日、被告馬渡三子(以下「被告馬渡」という。)の仲介で被告太郎と貸室賃貸借契約を締結し、右甲野荘の二階一号室に居住していた。康彦は原告照井富雄(以下「原告富雄」という。)と同照井政(以下「原告政」という。)の長男であり、同伊藤田鶴子(以下「原告田鶴子」という。)の兄であった。

(四) 一郎は、高校卒業後、昭和五一年四月に財団法人乙山保安協会(以下「協会」という。)に就職したが、かいよう性大腸炎を患い、同五五年一一月に退職した。以後就職せず、両親と同居し被告太郎に扶養されていた。

(五) 一郎は、昭和五五年九月ころから妄覚現象が起こり始め、他人の話声を聞いては自分が冷笑されているように錯覚したり、人声がしないのに自分に対して罵声が漏らされているとの幻覚・幻視を生じ、同時に被害妄想が強く、ほとんど一日中自分の部屋に閉じこもるようになった。そして、次第に同じ二階に住む康彦が自分のことを馬鹿にしていると思うようになった。

(六) 一郎は、昭和五七年六月ころ、康彦を殺害しようと考え、凶器として文化包丁一本を買い求め、自室に隠していた。

(七) 昭和五八年六月三〇日午前一時一五分ころ、康彦が訪ねてきた友人と話しているのを聞いた一郎は、自分が馬鹿にされているとの妄想を抱き憤激して同人を殺害しようと決意し、友人が帰った後、康彦の部屋に侵入し、同人の首、後頭部など十数か所を前記文化包丁でめった突きに刺して、同人を頸部血管損傷による失血及び頸髄損傷により同日午前一時三〇分ころ前記甲野荘の同人の居室において死亡させ、殺害した。

(八) 一郎は本件犯行時、破瓜型の精神分裂病に罹患しており責任無能力の状態であった。

2  被告太郎、同花子の責任

(一) 被告太郎、同花子は一郎の父母であるから民法八七七条により一郎の扶養義務者であり、したがって、精神衛生法二〇条により精神障害者である一郎の保護義務者であるところ、同法二二条一項は保護義務者に対し、精神障害者が他人に害を及ぼさないように監督すべき義務を課している。

(二) 一郎は、昭和五五年九月ころから前記のように精神に異常をきたしていたが、一一月に協会を退職してからは、ほとんど一日中自分の部屋に閉じこもり出歩くことがないなどの異常な行動が見られた。

(三) 近所の人々も、一郎が神経衰弱になったのではないかと疑っていた。

(四) 被告太郎、同花子は同じ甲野荘内に同居しており、生活を共にしていたのであるから、当然一郎が精神病にかかり、前記(二)のような症状を呈していることに気付いていたか、あるいは気付くべきであった。

(五) 一郎は、昭和五七年六月ころ凶器として買い求めた文化包丁を自室の整理たんす上のカラーボックス内に保管していたが、被告太郎、同花子の両名はいつでもそれを発見しうる状況にあったのであり、一郎が本件犯行に至ることを十分予見しえたというべきである。

(六) 被告太郎、同花子の両名は、一郎と同居し扶養していたのであるから、同人を監督する能力は十分にあった。

(七) 以上によれば、右両名は、精神障害者である一郎の監督義務者として民法七一四条の責任を負うべきである。

3  被告馬渡の責任

(一) 被告馬渡は、大和不動産の名称で宅地建物取引業を営んでいたものであるが、昭和五五年九月二一日、被告太郎と康彦との間の前記甲野荘の貸室賃貸借契約の仲介をした。

(二) 被告馬渡は、宅地建物取引業者として不動産の権利関係、借家居住者などの重要事項について調査・報告する義務があるにもかかわらず、右義務を怠り、康彦が借りた部屋の隣に精神分裂病に罹患している一郎が居住していることを、康彦に説明しなかった。

(三) 仮に被告馬渡が右の説明をしていたならば、康彦は甲野荘の部屋を借りることはなく、本件犯行の被害者となることもなかったのである。

(四) 被告馬渡は前記(二)の注意義務を怠ったものであり、民法七〇九条の不法行為責任を負う。

4  原告らの損害

(一) 康彦の逸失利益

康彦は有限会社サンタイプ社に勤務しており昭和五六、五七年の平均年収は二六三万円であった。右のうち同人の生活費は三分の一の八八万円を超えることはない。

よって同人の就労可能期間である六七歳までの四一年間の逸失利益は

一七五万円×二一・九七(新ホフマン係数)=三八四四万円

である。

(二) 原告富雄及び同政の他に、同人の相続人はいない。

(三) 原告富雄、同政にとっては老後を託すべき一人息子であり、被告田鶴子にとっては唯一の兄弟であった康彦が殺害されたことにより、原告らは甚大な精神的損害を受けた。右についての慰謝料は少なくとも各原告につき五〇〇万円は下らない。

(四) 原告富雄は、康彦の葬儀費用として二五〇万円を支払った。

(五) 以上によれば、原告富雄の損害は三八四四万円の二分の一に五〇〇万円及び二五〇万円を加えた二六七二万円、同政の損害は三八四四万円の二分の一に五〇〇万円を加えた二四二二万円、同田鶴子の損害は五〇〇万円である。

よって、原告らは被告らに対し、共同不法行為による損害賠償請求権に基づき、原告の富雄は二六七二万円、原告政は二四二二万円、原告田鶴子は五〇〇万円及び右各金員に対する不法行為の日の翌日である昭和五八年七月一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を各自支払うよう求める。

二  請求原因に対する認否

1  (被告太郎、同花子)

(一) 請求原因1の(一)ないし(四)、(六)ないし(八)は認める。(五)は否認する。

(二)(1) 請求原因2の(一)のうち被告太郎、同花子が一郎の父母であり、扶養義務者であることは認め、その余は否認する。

(2) 請求原因2の(二)ないし(四)及び(六)は否認する。(五)のうち一郎が文化包丁を買い求めていた点は認め、その余は否認する。

(三) 請求原因4のうち(二)は認め、その余は知らない。

2  (被告馬渡)

(一) 請求原因1のうち(一)及び(三)は認める。(二)、(四)ないし(六)及び(八)は知らない。(七)については一郎が康彦を殺害したことを認め、その余は知らない。

(二) 請求原因3の(一)は認める。(二)のうち被告馬渡が一郎のことを康彦に説明しなかった点は認め、その余は否認する。(三)は否認する。

(三) 請求原因4のうち(二)は認め、その余は知らない。

第三証拠《省略》

理由

一  被告太郎、同花子に対する請求原因について

1  請求原因1の(一)ないし(四)及び(六)ないし(八)の各事実は当事者間に争いがない。

2  同(五)の事実について判断するに、《証拠省略》によれば、一郎の妄覚現象が起こり始めた時期の点を除き、これを認めることができる。《証拠省略》によれば、右時期は一郎が協会を退職した後である昭和五五年一一月末ころであると認められるのであって、それが同年九月ころであったことを認めるに足りる証拠はない。

3  よって、以下、請求原因2の、被告両名の責任について判断する。

(一)  原告らは、被告両名が一郎の扶養義務者であり、したがって精神衛生法二〇条により精神障害者である一郎の保護義務者であるから、被告両名は民法七一四条一項の責任を負う旨主張するもののようである。

しかしながら、精神衛生法二二条は、保護義務者に対し、精神障害者に治療を受けさせるとともに、精神障害者が自身を傷つけ又は他人に害を及ぼさないように監督し、且つ、精神障害者の財産上の利益を保護すること等の義務を課しているところ、精神障害の疑いのある者が真に同法三条にいう精神障害者であるかどうかは専門医学的な判断を経てはじめて判明することがらであるから、前記法条による保護義務者としての義務も医師による右判定以前に発生するものではないと解するのが相当である(同法三三条が、精神障害者と診断された者の入院につき保護義務者の同意を要件とするのに対し、同法三四条が精神障害者の疑いがある者の入院につき後見人、配偶者、親権者その他扶養義務者の同意を要件とするのは、医師による診断の前には保護義務者が存在しないことを示すものである。)。

本件において、一郎が本件犯行以前に医師により精神衛生法三条にいう精神障害者であると判定されたことの主張、立証はない。よって、原告らの右主張は失当である。

(二)  次に、被告両名が精神衛生法二〇条による保護義務者ではないとしても、同居の実父母として精神障害者である一郎を事実上保護監督すべき地位にあることにより、社会的にみて右保護義務者に準ずる者として民法七一四条二項の責任を負うというべきかどうかが問題となる。

そして、この場合、前記精神衛生法の趣旨からすれば、扶養義務者であることから直ちに右監督義務が認められるのではなく、少なくとも被告両名が、一郎が精神分裂病に罹患していることを知りながら、病院に入院させる等の適切な措置をとらず放置したという事情、あるいは右罹患の事実及び一郎の行動に本件犯行を犯すようなさし迫った危険があることをきわめて容易に認識しえたという事情が存することが必要であると解するのが相当である。

そこで本件における右の事情の有無について検討する。

(1) 《証拠省略》によれば、以下の事実を認めることができる。

(a) 一郎は、昭和五五年一一月に協会を退職してから、周囲の目を気にして外出を嫌い、終日自宅にこもりがちになった。毎日朝一〇時ころ起床し、朝昼兼用の食事をとり、その後は夕食までテレビや新聞を見たり、自室でステレオを聴いたりして過ごし、夕食後は毎晩一時間くらい風呂に入った。入浴中たまに意味不明の「あーあー」という大声を発することもあった。入浴後は顔面の湿疹に軟膏を三〇分くらいかけて塗り、二階の自室に戻っていた。

外出は、ごくたまに床屋に行ったり、銀行に小遣い銭をおろしに行ったり、本屋に好きな推理小説などの本を買いに行くぐらいであった。

昭和五八年一月、自分の車を維持していく金がなくなったので車を売りたいと言い、姉夫婦が買い取った後は一層自閉傾向が強まった。

同年三月三一日、一郎の二五歳の誕生日に被告花子が外に出て働くよう説得すると、「そんなことを言わないで、寄生虫になっても家にいるのだから。」と言った。また、春から初夏にかけて暖かくなったのに部屋の窓を閉め切って留守番をしており、「ドラキュラと同じで日光は余り良くないから。」と言ったこともあった。

(b) 一郎は、昭和五六、七年ころから、康彦が自分を笑い者にしているとか、天井から自分の部屋をのぞいているといった幻覚・妄想を抱くようになったが、このことを被告両名には話さなかったし、同五八年二月ころ、自分の精神が何となくおかしいのではないかと悩み、神経科に受診しようかと思ったが、このことも被告両名には話さなかった。自室に閉じこもっていることについても、特に話すことはなかった。

(c) 一郎に関しては、右のような生活態度の原因と考えられる以下の事情があった。

(ア) 一郎の病前の性格は、内向的で非社交的、短気、頑固で気分にむらがあり、気が小さく神経質であった。また極端に清潔好きで、異常なほど几帳面に手を洗ったり、衣服を何回も着換えたりしていた。

(イ) 一郎は、昭和五五年一〇月ころから、下痢、血便、胃部不快感などの症状が現われ、中野の佼成病院でかいよう性大腸炎との診断を受けた。同病院には隔週おきに通院し処方された薬を服用していたが、その後も血便は続き、同五八年二月には慶応大学附属病院に転医している。しかしその後も症状は改善されなかった。

かいよう性大腸炎は、未だに原因が分からない難病で、ときどき激痛が走ったり、いつ血便が出るか分からず、出たときは下着や便器に血液が付着してしまう。右のような症状があるので外出や勤務には不便を感じるのである。

(ウ) 一郎は、昭和五五年一一月に協会を退職したがかいよう性大腸炎のため再就職する気持になれなかった。

(エ) 一郎には、親しく付き合う友人がほとんどいなかった。

(d) 一郎は自宅に閉じこもり気味ではあったが、テレビや新聞を見て家族と談笑したり、甲野荘の一階を賃借した焼鳥屋が営業を始める際にその内装を手伝ったりしている。昭和五八年四月ころには、比較的積極的に自分から家事を手伝い陽気になっていた。就職についても自分の方から言い出し、同年六月二九日、本件犯行の前日には、午前六時三〇分ころ起床し、親子三人で食事をとり、七時三〇分ころ家を出て丙会社の入社試験を受けに行った。この試験については「今度の仕事は車の免許証が使える。」と積極的で、午後四時ころ帰ってからも「コンピューターについて学習をしていなかったので全然できなかった。」とか「次のときは頭ではなくて体力で勝負するのだ。」と言っていた。

(e) 被告花子は、近所の人達に、一郎がかいよう性大腸炎であることは話したが、それ以外の病気については話したことはなく、近所の人達も同被告に対して一郎の精神状態について注意を与えたことはない。

(f) 破瓜型の精神分裂病の症状は、徐々に進行するもので、だんだんと現実の世界から離れて閉じこもるようになり、やがてボンヤリとした日常生活を送るようになる。

一郎の前記(a)の生活態度は、右の症状に合っているということができる。

(g) しかし医学上、一般的に言って、精神医学について専門的知識を持たない家族が多少の逸脱行動から精神分裂病ということを連想したり察知することは、極めて困難である。

被告両名は、精神分裂病については新聞で読んだ程度で特別の知識はなかった。

(h) 被告両名は、一郎の生活態度の原因について、かいよう性大腸炎にかかりなかなか症状が改善されないため、気分がいらいらして軽いノイローゼ状態になっていること、右の病気のため外出する気分にもなれないことなどが本来の内向的、非社交的性格に重なって、協会を退職したのを機に自閉状態になったと考えており、一郎が精神分裂病に罹患しているのではないかということは疑ってもみなかった。

(2) 以上の事実を総合して、被告両名が、一郎が精神分裂病であることを認識しえたかどうかについて判断する。

(a) まず、一郎の生活態度は過度に自閉的であり、入浴中に意味不明の大声を発したり、顔面の湿疹に三〇分くらいもかけて軟膏を塗るというのは異常な行動であると見られなくはない。

(b) しかし、一郎は、本来内向的、非社交的な性格であり、協会を退職した後勤務することもなく、友人もほとんどいなかったのであるから、外出する機会が少なくなったことは特に不自然ではないし、時間をかけて軟膏を塗るというのも過度に潔ぺきな性格の徴表の一つであるとも見られる。

また前記(1)(a)の中の昭和五八年三月三一日及び春から夏にかけてのころの一郎の言ったことばについては、冗談まじりの受け答えをしたものと考えるのが自然であり、それ自体特に異常な言動とは認められない。日常生活においても、家族とはよく談笑したり、家事を手伝ったりしている。就職についても本件犯行の前日に就職試験を受けに行っており、積極的な姿勢を見せている。試験から帰ってからの家族との会話も意欲的で、異常な点は全く見られない。

したがって、一郎の日常生活は、自閉的であったが特に著しく異常と言えるようなものではなく、自閉的な生活態度も本件犯行直前においてはかなり改善されていたということができる。

(c) かいよう性大腸炎に罹患した者が、病状が改善されず血便などの不快な症状が続くような場合、気分がいらいらしてノイローゼ気味になったり、外出する気になれなくなることは通常ありうることである。一郎の生活態度に変化がみられるようになったのは右疾患の発症後間もなくのことであることから、被告両名がその原因として、まずかいよう性大腸炎を考えたのは自然であるということができる。

(d) 被告両名が、一郎の幻覚や妄想を認識していたならば当然精神障害を疑うべきであるが、被告両名は右症状に気付いていなかった。そして、以上にみてきた一郎の生活態度から、一郎に幻覚や妄想があることを疑うこと自体、困難であったということができる。

(e) 以上によれば、被告両名が、一郎の精神分裂病に気付かなかったのはやむを得ないことであったというべきであり、気付くべきであったとする事情は見いだせない。

(3) 請求原因2の(五)(一郎が文化包丁を買い求めて自室に保管していたこと)の事実は当事者間に争いがない。

しかしながら、

(a) 文化包丁の保管状況の写真であることに争いがない甲第二四号証によれば、その保管状況が特に異常なものとは認められないこと

(b) 一郎は無職で被告太郎に扶養されていたとしても、二五歳の成年の男子であり、両親である被告両名に同人の部屋を検索して文化包丁を発見すべき義務があったとはいえないこと

(c) 前述したとおり、被告両名には一郎の日常生活から同人が精神分裂病に罹患していると認識すべき事情は認められないことからすれば、仮に文化包丁を発見してもそこから、一郎の行動の危険性を予見すべきであったとはいうことができないこと

に照らせば、右事実から被告両名が、一郎の行動にさし迫った危険性があると認識すべきであったということはできない。

(4) 以上によれば、被告両名は一郎が精神分裂病に罹患していることを認識しておらず、また右罹患の事実及び同人の行動にさし迫った危険があることを容易に認識しえたという事情はないから、被告両名に事実上の監督者として民法七一四条二項の責任を問うことはできないというべきである。

(5) よって原告らの被告両名に対する請求は、その余について判断するまでもなくいずれも理由がない。

二  被告馬渡に対する請求原因について

1  請求原因3の(一)の事実は当事者間に争いがない。

2  貸室賃貸借契約の仲介を委託された宅地建物取引業者である被告馬渡としては、委託の本旨に従い、善良な管理者の注意義務をもって誠実にその業務を行い、安全な住居を得させるようにつとめなければならないことはいうまでもない。

しかし、一で認定したとおり、一郎が精神に異常を覚えだしたのは昭和五五年一一月に協会を退職した後のことであって、被告馬渡が仲介をした同年九月当時、一郎が精神分裂病であることを疑わせるような事情があったことを認めるに足りる証拠はないのである。

よって原告らの被告馬渡に対する請求は前提を欠き、失当である。

三  以上の次第で、原告らの本訴請求はいずれも失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 大城光代 裁判官 野崎弥純 小野瀬厚)

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